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日記


by masdaq
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長嶋JAPANの違和感

長嶋監督は相当重症だということが分かった、アテネオリンピックから野球の選手団が帰国した日。あの中畑の涙に僕は寒々しさを感じる。「長嶋監督も喜んでくれました!」もっとも違和感を感じる言葉を吐き続けていたのが、中畑だった。

長嶋JAPAN云々に関しては、さんざん批判もされているし今さら書く気もないのだけど、僕が違和感を感じ続けたのにはもう一つの理由があった。それは、アテネの青い空と土のグランドとプロ野球選手とのあまりのギャップだった。

この論調はどこでも見たことがないので、もしかしたらそんな風に思っているのは僕だけなのかもしれない。けれど、アテネに到着した様子を見たときから野球チームの違和感は漂っていたように思う。

なぜだろうと考えてみると、日本のプロ野球選手というのはかわいそうだと思うのだけど野球だけやっていたのではいけないのだ。オフになれば、綱引きをしたりカラオケを歌ったり、寒いゴルフコースで接待ゴルフをしなければいけない。そして、オリンピックを観る同じテレビで僕たちはその様子を覗いてしまっている。

一方で、他の競技の選手たちがカラオケしているところや、息抜きに温泉に行っていていることを僕たちは知らない。知らないものは想像力で埋めるしかないのだけど、いかんせん情報量の少ない競技の選手たちのことである。わかりはしない。

プロ野球選手というのは、作られたヒーローなんだと思う。テレビという魅力的な箱が作り出す、テレビのためのマスコミのためのおもちゃ。

彼らがアテネで野球をやるというのは、その箱庭の世界から海の中に放り出されることだったのだと思う。彼らは箱庭が通用しないことを知っているし、外の世界が魅力的なことだって知っている。だから、バントでガッツポーズするし、ホームラン打ったらガッツポーズが自然に飛び出してしまうのだ。

でも、彼らは箱庭の外に出ることはできない。出さしてもらえない。

長嶋JAPANの選手たちの年俸総額がいくらか知らない。が、その年俸分の感動を僕たちはもらえただろうか?体操や水泳、柔道の選手たちが放った魅力は長嶋JAPANの何分の一しかなかっただろうか?「スポーツは感動を与える」のだったら、そこに商品価値があるのではないか?

もちろん、オリンピックは4年に一回で、プロ野球は半年間毎日である。そこには様々なドラマが生まれる。けれど、それを僕たちが知っているのはメディアが放送するからという理由だけである。

僕は、どうせだったらアテネの期間プロ野球を中断してすべての選手にアテネに行って欲しかったと思う。閉じられた世界のヒーローではなく、世界で活躍する選手がどんな風に戦っているのかを知って欲しかったと思う。

野球の伝道師は、アテネに行った24人の選手だけではないはずだから。
by masdaq | 2004-08-31 19:09 | 野球